呼吸器は本当に面白い ( 2007.9.9 更新 )

「はじめに」
 外来を受診する症例を病名で分類すると、診療所のみならず病院においても、呼吸器疾患が圧倒的に多いとの結果が得られております。その大多数は風邪や気管支炎などの比較的軽微な急性疾患ですが、中には喘息のように、患者さん自身が妙な自己判断を下す、慢性の呼吸器疾患も含まれており、油断は禁物です。当院でも最近千葉に転居してきた喘息の患者さんの初診時の第一声が、「先生はどのガイドラインにのっとって御診察をされていますか?」でした。一瞬"タジっ"となりましたが、「一応GINA を基本としていますが、国内外の最近の知見も参考にして治療を行っています」と答えました。その答えがお気に召したらしく、「これからお世話になります」とのことでしたから、型どおりの診察と検査の後、グレードに合わせて、現時点の喘息治療の第一選択である、予防の吸入ステロイドとLABAの合剤を処方しました。すると、「私はステロイドを使いたくない」と、さらに、「そもそも喘息に安易にステロイドを使うとは何事か!」と怒り始めました。そして、「ここには二度と来ることはない!」との言葉を残して帰って行かれたのですが、あのガイドラインの質問は一体何だったのでしょう?
 最近インターネットを通じて、誰でも手軽に医療情報を手に入れることができるようになりました。それが患者さん方の血や肉になればよいのですが、往々にして未消化で、かえっておなかをこわしているようです。上の例で言えば、中途半端で偏った知識で"ステロイド"という言葉に過剰反応したものと思われますが、局所作用型のステロイドでも副作用が出ると思い込んでいるのが、我が国の患者さん方の一般的なレベルであれば、私も含めて正しい啓蒙活動が足らなかったと言えるのかも知れません。私たちはプロですから、この機会に患者さん方よりもう一段深いところで呼吸器病学を考えてみたいと思います。

「七人の小人ならぬ一億の小さな奴」
 心不全、肝不全、腎不全という言葉はありますが、肺不全という言葉はありません。まるで肺の行なう仕事は呼吸だけのような呼吸不全というネーミングですが、肺が行うさまざまな代謝機転が解明された今でも、空気中の酸素を取り込んで、体内の二酸化炭素を排出することが、肺の最も重要な使命であることは変わりません。その重要な機能を営んでいるのが肺胞で、約1億個あると言われています。肺胞の有効換気面積は70〜100平方米、バレーコート片面ほどある計算になります。(テニスコート1面分と書いてある文献を多く目にしますが、テニスコートの1面が24m×11m=264uであることを知らずに書いているのだと思います。恐らく外国文献の誤った記述を次々と引用していったのではないでしょうか?同様に、肺胞の数も8億!と書いてある文献もあります。なんともはや…)問題はその先です。肺胞内の湿度は100%で常に濡れていますから、そこに働く表面張力は半端な値ではないことは容易に想像がつきます。なにせ、大男が飛びついてもレシーブできないほど広いバレーコート片面が、強い力で縮もうとするのですから、肺などいっぺんにつぶれてしまいそうです。それがつぶれないのはなぜでしょうか?そのカギを握るのが肺胞U型細胞から分泌されるジパルミトイルレシチン(DPL)という界面活性物質(サーファクタント)です。
 DPLは六角形の敷石のような形状をしていて、肺胞の内壁にびっしりと張り付き、水分が凝集しようとするのを妨げます。この働きにより肺は原形を保っていられるのです。ところが100%酸素を24時間以上吸入し続けると、DPLは壁からはがれて柱のように積み重なってしまいます。これをミセル構造と言いますが、内側からの支えのなくなった肺胞はつぎつぎと潰れ、肺胞レベルで微小無気肺を起こしてしまいます。これが酸素中毒の本態です。ちなみに酸素中毒を起こさない安全な酸素濃度は40%とされていましたので、在宅酸素療法を行う際に使用する O
2 enricher は開発当初すべて40%が上限となるように設計されていました。ドクターとエンジニアの発想の違いを物語るエピソードですね。

「意外と身近にある呼吸不全」
 呼吸不全の定義は今まで数多くの変遷を経てきましたが、

   room air 吸入下でPa O
2:60Torr 以下であって、
   なおかつPaC O
2:45Torr 未満をT型呼吸不全とし、
   PaC O
2:45Torr 以上をU型呼吸不全とする

という非常にシンプルなものに落ち着いたようです。

   Pa O
2:60Torr 以下が一カ月以上続くものを慢性呼吸不全とする

というのも分かり易くて良いし、

   Pa O
2:75Torr 以下を準呼吸不全として扱う

というのも、臨床に即していて良いと思います。と言いますのは、呼吸不全の定義などはすべて動脈血ガス分析値を用いていますが、一線の医療機関ではほとんどパルスオキシメーター、すなわち酸素飽和度を用いて判断しているからです。両者の間にはおおよそ、

   Sp O
2:95%はPa O2:75Torr
   Sp O
2:90%はPa O2:60Torr

という相関が成り立ちます。喘息の発作時にサチュレーションが95%以下になると準呼吸不全として黄色信号が灯り、90%以下になればこれはもう立派な呼吸不全ですから赤信号が灯って、患者さんの状況によっては救急車の手配を考えなければならないという判断がしやすくなります。減ったとはいえ、いまだに毎年 3,000 名以上の喘息死があるのですから、酸素飽和度がびっくりするくらい下がっているのに慣れの現象で、「この程度では苦しくないから大丈夫」と軽く考えたがる患者さんの訴えに惑わされることなく、科学的対応を取られることをお勧めします。当院では、「喘息の患者さんは、365日、24時間、医療機関にかかれるようにしておいてください」と言って、夜救診と休日診の地図を渡しています。ちなみに吸入ステロイドが今のように使われていなかった1995年の喘息死は 7,253 名でした。(これとて氷山の一角です)

「低酸素血症をきたす4つのメカニズム」
 呼吸生理学的に見て、低酸素血症の発現機序は以下の4つです。臨床病像の解析に必要な知識ですから、覚えていると、思いがけない時に、意外な状況で力を発揮します。

   1、肺胞低換気
   2、肺内シャント
   3、換気・血流不均等分布
   4、拡散障害

 はじめに「肺胞低換気」ですが、喘息や肺気腫などで空気の通る道(気道)が狭くなったり閉じたりして、肺胞内に出入りする空気が極端に減ってしまう病態です。これは理解しやすいですね。
 次の「肺内シャント」は、肺胞で酸素を受け取ることができない静脈血が、直接左心房に還流する機序で、通常でも心拍出量の2%程度の解剖学的シャントがあります。病的なのは、血流があっても肺胞内腔が存在しない場合、たとえば無気肺などがそれに相当します。要するにバイパスです。
 三番目の「換気・血流不均等分布」は最も理解しがたい低酸素血症の発現機序です。まず肺胞における酸素の受け渡しを想像してください。もしも十分な換気が行われている肺胞の周りに十分な血流があれば、効率の良い酸素の受け渡しが行われます。仮に十分な換気があっても酸素を受け取ってくれる血流が乏しかったり、逆に血流は十分にあっても換気が不十分だったりすると、単位時間当たり、体内に取り込める酸素の量は大幅に減少してしまいます。こうした、"換気と血流のバランスが悪くなるために低酸素血症をきたす"というメカニズムは、ほとんどの慢性の呼吸器疾患で認められ、実際はこの病態が呼吸不全の主因となる場合が大部分です。この一事を取って見ても、呼吸と循環は不可分の関係にあることを実感させられます。
 最後の「拡散障害」は昔と比べると概念が大きく変わってきました。従来は、肺線維症や肺水腫などで認められる低酸素血症の発現機序として、肺胞腔と毛細血管の間の距離が増大してガス拡散が障害されるため、と説明されていましたが、現在ではそのメカニズムは否定され、ガス拡散面積の減少、すなわち有効換気面積の減少が、病態生理的な主因と考えられています。この間の概念の変遷にまつわるエピソードも、とても面白いものですが、本題と外れますのでいずれまた…

「レントゲンの安全性について」
 基礎医学的な話が続きましたので、そろそろ臨床的な話題に移りましょう。呼吸器疾患を診る場合に最も重要な検査は、何といっても胸部X線です。ところが、日本は唯一の被爆国であることから、放射線に対して、神経質になり過ぎているきらいがあります。単なるイメージだけで必要以上にレントゲン撮影を忌避する患者さんの説得に手間取った経験は、おそらくすべての科の先生がお持ちのことと思います。
 宇宙から降り注ぐ宇宙線や、地中の希土類から放射される放射線などをあわせた自然放射線は、一年間でおよそ2.4ミリシーベルト( mSv )になります。それに対して、胸部X線の撮影で浴びる放射線は、わずか0.13 mSv にすぎません。2.4 mSvを平気で浴びていて、なぜ0.13 mSvの放射線を問題にするのでしょうか?さらに、人間の中で最も放射線に弱い胎児の閾値(しきい値)は100 mSvとされています。閾値とは、それを超えたら障害が出るというレベルではなく、「障害の出る可能性が出始める最少の値」のことですから、妊産婦の胸部X線を1,000枚撮ってようやく胎児に異常が現れる可能性が出始めるということになります。常識的な枚数のレントゲン撮影は、医学的には全く問題のないことは、これでよくお分かりのことと思います。それだけ説明しても忌避される患者さんはほとんどおられませんが、もし断られたら無理強いせず、可及的爽やかに撤収したほうが良いと思います。

「気管支炎ではない風邪って本当にあるの?」
 外来で診る呼吸器疾患で最も多いのはこのカゼ症候群です。昔から風邪は万病の元と言い習わされてきましたが、カゼに続発する疾患がそれほど多いとは考えられず、おそらく根底に他病が潜んでいるために体力、抵抗力が落ちて風邪をひきやすくなり、そのうちに大元の病気が姿を現してくるといったあたりが正確なところでしょう。その中でやはり呼吸器疾患だけは、ドミノ倒しのように次々と増悪していくことがあり、注意を要します。カゼの原因となり得るウィルスの大多数は、気道の粘膜に親和性( affinity )がありますので、発病すると外部からも視認できるように上気道の炎症が起きます。実はこの時点でもう既に多かれ少なかれ気管支の炎症が起きていることはあまり知られていません。咽頭、喉頭、気管、気管支といった独立した名前はありますが、解剖学的に連続した器官で、特定の部位だけに限局して炎症がおこるということはありません。もちろん炎症の主座がどこにあるかということで、病像に差が出ますから、急性咽頭炎や喉頭炎などの臨床病名は、それを反映したものということになります。
 ところが世間一般では、肺炎が横綱であれば、気管支炎は大関クラスの、とても大変な病気!といった誤ったイメージが定着しており、私も開業当初はこの過ちを正すために、「色のついた痰が出るということは、それだけでもう既に気管支炎になっているという証しだ!」とむきになって説明していましたが、最近ではそんな暇があったら肺炎を顕在化させないように力を注いでいます。ここに述べたことは、ある程度の数の気管支鏡を経験しているドクターであれば誰でも知っていることです。医者も患者も、「スタートでもう既に気管支炎!」という認識を持っていただき、二次感染予防のために、少なくとも待合室ではマスクをする、代謝を活発化し痰の切れを良くするために食事以外に1リッター以上の水分を摂取する、熱がなくともだるさを自覚するときは積極的に休む、などのちょっとしたことに気をつければ、市中肺炎は大幅に減るのではないかと思われます。

「おわりに」
 重要臓器の中で唯一外界と直接接触している肺は、その予備力の大きさが裏目に出て、よほど進行しなければ異常が表に現れにくいという特色があります。(タバコによる障害が良い例です)さらに社会環境の変化に伴い、吸入抗原なども多様化して、アレルギーの病像も変わりつつあります。新型インフルエンザのパンデミックが話題となっていますが、現在のペットブームの中で新しい人畜共通感染症が顔を出さないとも限りません。海外旅行でも従来は腸管がウィルス、細菌のキャリーバッグになっていましたが、今では呼吸器感染が病原菌を国内に持ち込む経路となりつつあります。睡眠時無呼吸症候群やCOPDもあらたな国民病となりそうな勢いですし、日々の臨床では長期に持続する咳の患者さんに手を焼いておられる先生も多いことと思います。本当に呼吸器病学は間口が広く、奥行きが深いですね。